エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

阪神北大阪線廃線跡レポ(1)野田~西大淀間

2年越しに完結しました。梅田から延々と野田阪神まで歩くという…
阪神大阪線は1914年に野田~天神橋筋六丁目間が開通した。当時は周りも一面未開の地。
天六大阪市電や新京阪の開業前で実は天六に乗り入れた最初の電車である。
野田から北上して中津へ、中津から阪急と並走して国鉄の貨物線を越える為に専用軌道になったあとは済生会病院前を左折してずっと併用軌道。この道路も実は阪神が敷設に関係したものである。
しかし1975年相方ともいえる阪神国道線モータリゼーションにより廃止。車庫が尼崎にあったため乗客の比較的多かった当線も廃止されることになってしまった。
今回は2016年11月15日に第三次徒歩取材を行った。なお駅名については1960年代に改称があった西大淀については旧駅名も併記した。
イメージ 1野田電停の留置線跡は現在ウイステ野田となっている。ウイステとはフジのこと。野田はかつてフジの産地だった。現在は阪神電鉄の本社もここにある。
イメージ 2こちらは阪神野田駅
イメージ 3早速野田から北に北大阪線は方向を変える。おそらく当時の地図的にもこの辺りで間違いなさそうだ。
イメージ 4この辺りが海老江電停跡となる海老江バス停。野田方面を望む。
イメージ 5海老江電停跡から中津方面を向いて撮影。市バスの海老江バス停はこの辺りになる。
イメージ 6※少しだけ写真トリミングしています
今回は電停間の写真をあまり撮らずに来ているのでもう上海老江電停跡に到着。写真には写っていないが左側には印刷工場があり(どうも戦前からあるようだ)現役当時は通勤者も多かったと推察される。ちょうど昼時だったので工場から出て野田阪神方面へ歩く人も見受けられた。
イメージ 7少し先から中津方面を望む。ここで北東に向きを変える。ちなみに奥の阪神高速の先が西大淀(浦江北5丁目)電停跡になる。距離からしてみれば案外近かった。
イメージ 8カーブの先から野田方面を望む。こちらの方が雰囲気があるかもしれない。
イメージ 9これは北大阪線のものでなくおそらく東海道本線のものであるが阪神高速東海道本線をくぐった先には古い橋台跡らしきものも見受けられた。
イメージ 10これは2015年の第二次取材の時の1枚だが反対側にはこのように立派な橋台跡もある。
イメージ 11再び2016年の写真に戻って野田方面を望む。東海道本線の橋台跡も見える。
イメージ 12この辺りが西大淀(浦江北5丁目)電停跡になる。これは野田方面。
イメージ 13こちらが中津方面。トラックのせいでバス停が見えないorz
イメージ 14こうして2015年取材のその2につながるのである。
西大淀より先はこちらにあります。

阪神北大阪線廃線跡レポ(2)西大淀~中津間

阪神北大阪線廃線跡レポ(3)中津~天六間


おまけ
こうして完結した阪神大阪線廃線跡だが実はまだ旧線が残っている。補完取材は梅田貨物線より西側では既に終えておりあとは梅田貨物線より東側のわずかな区間を残すのみとなっている。そちらも近いうちに紹介したいところ。