エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

篠山鉄道廃線跡レポ(2)篠山~東吹間(後編)

前編をご覧になっていない方はこちらからどうぞ

篠山鉄道廃線跡レポ(1)篠山~東吹間(前編)

丹波篠山にあった2つの鉄路のうち国鉄篠山線については終点の福住駅を既に紹介したが今回は篠山線の前に篠山の街を目指した篠山鉄道の廃線跡を紹介することとする。
イメージ 1これは福住駅のレポでも使った地図だがたまたまここに篠山鉄道の全線が入ったのでついでに福住駅のレポで書いた文章も一部再利用するw
篠山城篠山市役所のある辺りが篠山市の中心部であるがここから篠山口駅まで約5kmほど離れている。
というかそもそも篠山口駅丹南篠山口ICは1999年に合併して篠山市となる前は旧篠山町ですらなく旧丹南町にあった(丹南篠山口ICの名称に名残が残る)
丹南町からすれば駅もインターチェンジも名称を篠山に横取りされた形であるがこれについては篠山出身の方から「丹南町は合併前から篠山藩としての括りの名残からか丹波篠山の一員としての意識が強かったからでは」という見解を頂いている。
…話が脱線した。しかしその篠山に鉄路が通じていた時代もある。
1915年に開通した篠山鉄道と1944年に篠山鉄道を代替した国鉄篠山線(篠山口~福住間)がそうである。
福住駅のレポでは篠山線の歴史について述べているので篠山鉄道の歴史をここで述べると篠山鉄道は篠山から遠く離れた篠山駅(後の篠山口駅)と篠山の街を結ぶため篠山軽便鉄道として1915年に篠山駅近くの弁天~初代篠山町駅までの区間を開業させた。
しかし初代の篠山町駅もまた篠山の街とは微妙に離れていたために1921年福住方面への延伸も考慮して篠山城下町に延伸。篠山町駅も移設された。
1925年には国鉄篠山駅構内に乗り入れるにあたり社名を篠山軽便鉄道から篠山鉄道に変更。
しかし戦時中になると山陰本線のバイパス線として篠山~園部間を結ぶ篠山線が福住まで開通することとなり篠山鉄道は篠山線に役割を譲る形で1944年3月20日をもって廃止となる。
翌日からは篠山線が運行を開始するが篠山駅はまたしても篠山町ではなく丹南町に設置されそして1972年には廃止。現在は神姫グリーンバス福知山線からの接続を受ける形で篠山口駅篠山市街地の間を結んでいる。
それでは早速航空写真をご覧いただこう…とは言ってみたがいつも出典としている国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスの航空写真には戦後1948年に米軍が撮影した航空写真より前の写真は存在しない。ということで今からご覧いただく写真は全て廃止後の写真となる。とは言っても篠山口~東吹間に関してはほぼ現在でもトレース可能なので皆様気になるであろう篠山線との交差部分辺りのみを紹介する。
イメージ 2篠山線廃止後の1975年の写真から。篠山線が築堤と高架橋で越えている道路は廃線跡ではない。
イメージ 3篠山線との交差はこんな感じ。赤線が篠山鉄道、青線が篠山線。築堤で路線が分断されるためこの工事が始まった頃から篠山鉄道は篠山線の路盤に乗り入れていたらしい。
篠山鉄道の廃線跡全体では篠山~東吹間は駅間距離が最も長いながら最も廃線跡を辿りやすい区間となる。逆にここから先は…とにかく取材してきたのでご覧いただきたい。取材日は2017年2月20日
イメージ 4前回はここからスタート。ここは篠山鉄道ではなく国鉄篠山線の廃線跡となるがすぐ先に篠山鉄道との交差がある。
イメージ 5ここが篠山鉄道と篠山線の交差。当然ながら築堤の跡形もない。篠山鉄道はここを斜めに横切っていた。
イメージ 6篠山口側を望む。微妙に面影が残る。
イメージ 7一方篠山町側は再び道路が始まっている。
イメージ 8少し進んだ先から篠山町側を望む。この道路はこのまま東吹駅跡まで続いている。
イメージ 9途中で少し道が変わるが廃線跡は続く。この道幅よりも路盤は狭かったらしい。
イメージ 10これくらいの幅が路盤な気もする。確かに車両の通行は困難だ。
イメージ 11もう少し進むと東吹の集落に入る。東吹駅跡はもう近い。
イメージ 12ということで東吹駅跡。篠山町側を向いて撮影しているが駅跡に面影は全くない。
イメージ 13篠山口側もこの通り。これが駅でしたと言われてもまるで信じられない。
イメージ 142枚前の写真に写っている廃線跡の道から続いた道になるがここで廃線跡と道路が離れる。廃線跡は直進していたがこの通り農地になっていて跡形もない。篠山線も基本的にはこんな感じである。
次回は篠山川を渡って東吹~岡野間を紹介します。今回は日曜日と月曜日に連続して切符展示室を更新してしまったため火曜日の更新となりましたが…次の土日を期待せずに待てw