エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

篠山鉄道廃線跡レポ(4)新旧分岐点~篠山町間(前編)

今回は西岡屋交差点付近にあった篠山鉄道の新線と旧線の分岐点辺りから紹介する。
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1948年の航空写真でももはや岡野より先は判然としない。なおこれらの航空写真は全て国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを出典としている。そういった感じなのでいきなり現地取材をご覧いただくことにする。
取材日は2017年2月20日
イメージ 2前回の最終地点となった西岡屋交差点。ここは厳密には新旧分岐の先、新線側にあたる。
なおここから先は篠山町側から篠山口側に向けて歩いている。写真は振り返ったものになるため多少の違和感があるかもしれないがご容赦頂きたい。
イメージ 3農地の横を歩くと現役当時の石垣らしきものが現れた。これは築堤の跡だろうか。
イメージ 4せっかくなので接近。見た感じ確かに古そうだ。ここからしばらくは廃線跡は宅地の中に消える。
イメージ 5ということで小さな川を渡るところまで飛ばしてきた。写真奥の橋はおそらく廃線跡とは無関係。前後の遺構からおそらく写真中央部辺りを通っていたと思われるが痕跡は無い。
イメージ 6廃線跡は道路ではなくその横の家のある位置を通っていたようだ。篠山町方面に向けて撮影。
イメージ 7西町駅辺りから篠山口側を望む。ここに廃線跡がありましたと言われても全く想像がつかない。
イメージ 8西町駅跡はこの辺りだった。現在は芦森工業の工場となる道があるがここと隣の建物の間辺りを廃線跡は走っていた。
イメージ 9少し抜けて芦森工業の工場敷地との境界から篠山口方向を望む。やはり住宅などに転用されている。
反対側は芦森工業の敷地に取り込まれていた。この芦森工業篠山工場は同社HPで紹介されている2016年3月27日付の神戸新聞によると1947年操業開始とのことで篠山鉄道の廃止からわずか3年で転用されたことになる。
なお先程の道は芦森工業によって通行禁止の看板が出ていたが地元住民の通行は黙認されているらしく(現に見かけた)さらに篠山町側からは立ち入り禁止の看板などが一切無かったため通り抜けてから通行禁止に気付いた程である。
先程の看板もあくまで「通行禁止」で「立ち入り禁止」でなかったことからいわゆる「ルート次第」と解釈したが余計な事になっても困るので篠山口側からの立ち入りは控えた方が良いだろう。ちなみに今筆者が立っている道は地元の里道であるようなので当然ながら通行可能だ。
イメージ 10その先程筆者が立っていた位置にはこのように橋台跡があった。こういう遺構が無ければとても廃線跡と言われても信じられないほど跡地の利用は進んでしまっている。
イメージ 11芦森工業の工場を抜けると廃線跡は駐車場として転用されている。なおこの駐車場全体が廃線跡というわけではなくどうも左側の車が止まっている辺りがそうだったようだ。
イメージ 12廃線跡を転用した篠山市西町駐車場の案内看板が立っていた。しかしこの雨の平日にこれだけ車が止まっているのも変な話だが鉄路が消えた以上車に頼らざるを得ないという篠山の事情故なのだろう。
ここから先は後編に続く。後編は割とすんなりと篠山町駅に向けて突き進む形となる。次の更新を期待せずに待てw