南海和歌山港線廃線跡レポ(前編)
徳島県民がかつて一番最初に乗った電車は南海電車だった。南海フェリーに乗って和歌山港に着くと待ち構えている特急四国号や後の時代になるとサザンで、難波や和歌山港ではそれこそ「特急四国が蛇のよう」な長編成(とはいっても今の方が両数は長いが)で走っていた。
しかし和歌山市の中心地としての地盤沈下や明石海峡大橋の開通で客は一気に高速バスに流れ、南海フェリーと和歌山港線は現在も存続が危ぶまれる状況にある。そういうわけで南海フェリーはいいぞ
…ではなかった。その南海和歌山港線は和歌山市~和歌山港を結ぶ路線だったがかつては和歌山港駅より先、水軒へと路線が通じていた。
和歌山港線の開通は南海フェリーの前身となる南海汽船が就航した1956年に和歌山市~久保町(当時は久保町駅が和歌山港駅を名乗っていた)間、1971年に久保町~水軒間が開通している。
そのうち和歌山港までは和歌山港ターミナルの移転が主要な理由だったが和歌山港より先の水軒までは木材輸送の為に和歌山県が臨港鉄道として建設したものであった。その名残として旧久保町~和歌山港間は現在も和歌山県が第三種鉄道事業者となっている。
しかし1971年ともなると既にモータリゼーションの嵐が吹き荒れており木材輸送はトラックがメインとなっていて鉄道の出番は無かった。
その為水軒駅から貨物列車は一度も発着したことは無く、和歌山市駅から1日2往復の旅客列車だけが発着するといった状況となった。
乗客も僅かではあったが南海側の赤字額が想定より少なかったことから特に廃止されることもなく運行が続けられていた。
そんな状況だった水軒に転機が訪れる。和歌山港~水軒間の踏切が道路拡張に支障をきたしていた。地元住民から和歌山県に改良が求められこの時に水軒駅までの区間を廃止することが決まった。
こうして2002年5月15日、ただの一度も貨物列車が走ることなく水軒駅は役割を終え和歌山港~水軒間が廃止された。
では水軒駅の航空写真をご覧いただこう。出典は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスである。
貨物輸送に使えるように留置線がいくつも設けられている。写真の上の方にも出ているが当時の和歌山では木材需要は活発で各所に貯木場が設けられ丸太が浮かんでいた。
これが廃止後どうなっているかを確かめるべく筆者は2012年11月10日と2017年2月5日の2回にわたって現地取材に出向いた。ここからの写真は2012年版と2017年版の双方を出していく。写真の説明には日付を入れてあるのでそれを参考にして頂きたい。
2017年2月5日 この日はあいにくの雨。車で和歌山にやってきた筆者と友人は水軒側から取材した。
※車中からの撮影は全て助手席から行っています
2012年11月10日 一方5年前のこの日は快晴。ここは和歌山港駅のすぐ南側。架線柱が途切れた辺りで難波からのレールが途切れここからは廃線跡となる。
2012年 水軒側を望む。ここは花王和歌山工場の西門。道路を越える橋がそのまま残っていた。
2017年 5年経ってもこの辺りは割と変化が無い。先程の橋も残っていた。
廃線跡が築堤から下ってきた。廃線跡は藪の中。入りたくない。水軒方面を望む。
2017年 5年経っても冬になっても藪は藪だった。右上に柵が残っている。
2012年 もう少し進むと藪の中から柵が現れる。これも大きな遺構。
2012年 もう少し進む。藪の中からバラストが現れた。こうなってくると次に現れるのが…
2012年 架線柱の跡である。引き抜かれた部分が痛々しい。
2017年 柵の部分は2017年になっても健在だったが多少錆が見えてきたか?
2012年 雑草が切れたのでここで廃線跡に立つことにした。和歌山港側を望む。
2012年 一方水軒側を望むとバラストが残っていた。
2012年 68キロポストが残されていた。この68キロは難波からの通算。
2012年 しばらくバラストを横目に見ながら進むと廃線跡は花王の入場アプローチ道路に転用されている。
2017年 2017年も先程のバラスト区間は現存している。見た感じではさすがに5年前よりは雑草は増えたようだがまだまだ面影は残りそうだ。和歌山港側を望む。
2012年 出口のアプローチ路が尽きるとやっと廃線跡は空き地となる。和歌山港側を望む。
2012年 水軒側はこんな感じ。バラストは撤去されたようだが架線柱跡が残っていた。
2017年 5年経っても大して状況は変わっていない。強いて言うなら多少看板が増えた程度か。
2012年 少し進むと歩道の柵も無くなる。おそらくこの歩道も線路敷を転用したものではないだろうか。
2017年 ここが和歌山港~水軒間が廃止される原因となった踏切跡。この交差点の右側がそうだが廃止後に拡幅しているのでものの見事に面影はない。
2017年 もう少し先へ行く。ここからは水軒駅方向を撮影。
2012年 水軒駅に接近すると再び歩道との境界に柵が設置される。
2017年 ほぼ同じ場所から水軒方面を望む。少し歩道の柵の錆が出てきただろうか。
2012年 廃線跡の空き地が広がってきた。水軒駅はもう近い。
水軒駅については廃駅レポなどとの関係から記事を改めることとします。