エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

JR予讃本線宇多津旧線廃線跡レポ(前編)

※タイトルは廃止時の路線名を原則としているのでJR予讃本線で合っています(JR化87年4月→宇多津旧線廃止87年10月→予讃線への改称88年6月)
作るだけ作っといて長いこと放置していたこのカテゴリですがちょうど取材から1年になるのを記念して更新します。
イメージ 1瀬戸大橋の南岸にある予讃線宇多津駅は長い間宇高連絡船の発着地であり四国の玄関口であった高松に代わり現在の四国の鉄路の玄関口である。四国に入る列車、出る列車は全てこの宇多津駅を経由する。(マリンライナーなどの高松方面への列車は宇多津駅ホームには入らないが宇多津駅構内扱いの短絡線を通過するために宇多津駅を経由する扱いとなっている。近鉄中川短絡線における名阪特急の扱いも同様)
今回はその宇多津駅付近の旧線の紹介である。
イメージ 2現在の宇多津付近の新線は1987年の瀬戸大橋開通に伴う本四備讃線の開業に伴って整備されたものである。
駅が移設されたのは1987年10月2日。これと同時に予讃本線(既にJR化しているが予讃線と改称されるのは翌年)の高松~観音寺間が電化路線としてつながった。
高松~坂出間・多度津~観音寺間・土讃線多度津~琴平間はこの少し前の1987年3月に電化していたものの残った坂出~多度津間は宇多津駅の移転後の電化となったために非電化のままとなっていた。個人的にはこの部分電化の間の121系の運用がどのようなものであったか興味深いところ。
イメージ 3では航空写真から1980年の宇多津の様子。現在の宇多津駅さぬき浜街道、また現在のイオンタウンなどは全て塩田であった。これらの航空写真は全て国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを出典としている。
イメージ 4それがわずか27年後の2007年にはご覧の通り。正直区画整理されすぎて旧線の面影すら見受けられない。なおこの写真は宇多津駅周辺のみの写真となり上の80年の写真とは範囲が異なることに注意。
イメージ 5では2016年2月15日の現地取材スタート。取材は丸亀市側からスタートした。ここは隣の丸亀市になる。この辺りが新旧分岐点である。
振り返ってみると旧線を転用した道路が続いている。ちなみにそこのスポーツクラブの1Fにもうどん店。もちろん筆者も宇多津町某所で本場のうどんを食べている。大阪に帰ってみて某丸亀製麺や某金比羅製麺の値段の高さに驚いた
イメージ 6すぐ先の民家の玄関先にはバラストと枕木らしきものが。どう見ても(というか他の所でも見たことがある)これは新設のものだがここの家の家主は自分の家のある場所がどういうところか分かってこんなものを置いたのだろうか…だとしたらその洒落のセンスに脱帽。
イメージ 7道を突き当たるとおそらく今回一番のハイライトとなる築堤跡に着く。旧線がどこを走っていたかご覧の通り。
イメージ 8ちょうど撮影していると末期色の113or115系が通過していった。
イメージ 9改めて現在線と旧線を見比べる。よく見ると現在線を2000系特急南風が通過している。
イメージ 10橋台と築堤がそのまま残っている。
イメージ 11宇多津側は廃線跡が空地となっていた。フェンスも切れていて乗り越えようと思えば乗り越えられるが自重。
廃線跡は再び道路に転用されているが少し先から舗装が途切れる。
イメージ 13
実はこの区間は地元の人が使用しておりこの時たまたま人がいて立ち入れなかった。そこで並行する道路から奥の廃線跡を撮影。2つのフェンスの間が廃線跡
イメージ 12ということで丸亀市と宇多津町の境界から丸亀側を振り返って撮影。一応市有地で立ち入り禁止らしい。
宇多津町側はこちらからどうぞ

JR予讃本線宇多津旧線廃線跡レポ(後編)