別府鉄道野口線廃線跡レポ(1)野口~円長寺間
この路線は野口で接続していた国鉄高砂線同様に貨物主体の路線であった。そもそもこの別府鉄道は終点別府港駅(港口駅でない理由は後述)の先にある多木化学の専用線のようなもので、廃止理由も国鉄が土山駅での貨物扱いを終了する為であった。
そういった経緯からこの路線は「旅客はおまけ」と言われることが多い会社でもある。
当初は播州鉄道への接続という事で1921年9月3日に港口~野口間で野口線が開業したがやはり国鉄、それも山陽本線に乗り入れることが重要と考え土山線を敷設した後は沿線に比較的集落があった為(それでもおまけではあるが)比較的旅客に重きを置いた路線ではあった。
野口線は戦時中は不要不急線に指定され1945年1月に一度休止されるが1947年に復活した。しかし前述の通り、国鉄土山駅での貨物取扱終了が大きな要因となり、1984年1月31日をもって野口線、土山線ともに廃止された。
1980年の航空写真である。赤い線が高砂線で緑の線が野口線。なお当ブログの加古川エリアの廃線跡は全て統一した色分けをしているので参考にしてほしい(高砂線…赤、野口線…緑、土山線…黄、加古川刑務所専用線…青)
それでは現地はどうなっているのだろうか。2018年2月25日に取材した。
少し別府寄りに進むと分岐点が見える。左の遊歩道が別府鉄道、右の道路が高砂線。
野口線の廃線跡の大半は「松風こみち」という遊歩道に転用されている。
別府方面に進む。カーブのゆるやかな様子が廃線跡であったと感じさせる。今にもカーブの向こうから貨物列車が現れてきそうだ。
もう少し進むと川を渡る。橋梁が遊歩道となっている。
橋梁そのものはそのまま。
ここが藤原製作所前駅跡。野口方面を望む。
別府方面を望む。右側の建物が藤原製作所を前身とするTLVの建物。
貨物輸送を重視したらしい直線の線形。どこまでもまっすぐ続く。
少し進むと別府鉄道のキハ02が保存されている。よくここが円長寺駅跡と言われるが実際はもう少し先にあった。
車両はメンテナンス中らしい。東播磨県民局にチラシがあった。以前はかなりひどい状況だったらしい。
廃止のお知らせがあった。これは円長寺駅からの移設か?
諸元はこちらの通り
円長寺駅の駅名標が残されていた。
別府鉄道の社章があった。
この辺りが円長寺駅跡。厳密にはもう少し野口寄りだが…
次回は別府辺りまで一気に更新してしまいます。