国鉄高砂線廃線跡レポ(3) 鶴林寺~尾上間
国鉄高砂線は加古川駅から高砂港駅までの8kmを結んでいた。この高砂線は加古川線を敷設した播州鉄道が加古川線同様に加古川の舟運を代替する為加古川から物資の集散地である高砂までの路線を1913年に開通させたものである。この時は加古川橋梁の東端辺りに高砂口駅を置きそこを終点とした。
1923年には播丹鉄道に譲渡され、1943年には加古川線同様に戦時買収により国有化された。その後には高砂駅近くに国鉄高砂工場が完成。客車、貨車の車両整備から改造を行う工場として出入庫する列車もあった。
しかし鉄道貨物輸送の衰退が高砂線を直撃する。元々旅客輸送にあまり力を入れていなかったこともあり、1981年に第一次特定地方交通線として認定。高砂工場も貨車、客車の需要減少で須磨区の鷹取工場に統合されることとなった。
なおこの路線に関しては沿線人口が第一次特定地方交通線としては多かったため第三セクターへの転換も検討された。しかし加古川橋梁の老朽化が激しかったこともあり、転換計画は頓挫。1984年2月1日に先行して貨物営業と高砂~高砂港間が廃止。残った区間も1984年12月1日をもって廃止された。
では現役当時の航空写真をご覧いただこう。出典は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスである。
今回は尾上駅周辺の航空写真となっている。鶴林寺~明姫幹線辺りまでの航空写真は前回の記事に掲載している。
この区間の取材は2018年2月25日に行っている。
前回の最後は鶴林寺駅から。ここから明姫幹線を越える。明姫幹線の橋桁の色が変わっているのが遺構?
明姫幹線を越えると歩道が無くなる。だがまだ廃線跡らしい直線が続く。
さらに進んで山陽新幹線との交差付近まで来た。遺構は無いが道路に転用されて続く。
山陽電車を越えるところはガードが現存していた。道幅がここだけ狭くなっていることに注目。
加古川方面を振り返ると一目瞭然。これまで来た道路はかなり拡幅されているのである。
ガードを南側から。
なお名称は普通に尾上の松架道橋となっていた。高砂線の文字は一切ない。
ガードを越えると山電と並走するように向きを変える。
加古川方面を望む。
ここにも駅跡のモニュメントがあった。駅跡に何もないのは今のところ鶴林寺駅跡のみ。
尾上駅の歴史というモニュメントも存在した。廃止から市道への完全転用まで約4年かかっていたことが分かる。