エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

廃墟レポ(1-1)生駒山旧航空灯台(前編)

1年半ぶりのブログ更新となりました。放置してたつもりはなかったのだが
久々の更新でグダグダかもしれません。生暖かく見てやってください。
更新再開第一弾はここから。
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2014年2月12日 生駒山
筆者初の生駒ケーブルである。
この生駒山には様々な施設がある。それを印象付けるのが次の1枚。
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NHK生駒山送信所前より生駒山上駅側を見る
見事な鉄塔銀座である。
北から読売テレビ毎日放送デジタル、朝日放送関西テレビ毎日放送アナログ、NHKとなっている。
そんな鉄塔銀座を南下するとこんな塔がある。
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この塔には訪れる人もまばらだろう。ここには何の説明文も無い。ここは「近鉄生駒山無線局」である。
ただこの近鉄生駒山無線局、元々の姿はもう少し違っていたという。
1940年10月21日の大阪朝日新聞や同日の東京朝日新聞(逆光ながら画像つき)、同年10月20日の大阪毎日新聞(こちらはより状態のいい画像つき)に掲載されていたがここはなんと戦前生まれの建物である。
ここは航空灯台と呼ばれるものでかつて中之島朝日新聞社の社屋屋上にも同じようなものがあった。
戦前の航空機にとって夜間の飛行は危険そのものだった。その飛行機に灯を提供するのが航空灯台である。
そして時が流れて1940年には航空道場となったのである。航空道場のことについては他に詳しいサイトがあるのでそちらに譲る。
ここには「神風記念館」という朝日新聞社「神風」号を展示した施設と「神風寮」という寮があったようである。
大阪毎日新聞の記事によると「二階建延坪百三十二坪余、一階は航空日本の将来を背負う青少年の鍛錬宿泊所に当てられ宿室、食堂、浴室などがあり、二階は教師の宿発室のほかに研究室、図書室、社交室、広間など道場としての各種機関を整備している(三)航空灯台 延坪八十七坪余、高さ百四尺に及び、一階には玄関、事務室、貴賓室、ホールなどがあり六階を大展望室、七階を露台、八階を灯台光機室となす」と大きな建物があったらしい。
ここはどうやらその管制塔的な役割をしていたといわれている。
しかし日本は戦争に負けた。この航空道場も跡形もなく取り壊されてしまった。
しかし、この灯台だけは残った。ここは後に京都大学の太陽観測所として使われたのである。
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よくこの円形の建物と勘違いされるがこれではなく下側の塔がそれという。
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その後1970年代に太陽観測所も岐阜県に移転した。そこから紆余曲折があったが現在は近鉄が使用している。
近鉄生駒山無線局の使用目的は不明だがおそらく列車無線と思われる。
次回はこの数奇な運命を辿った建物の写真を大放出する。


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おまけ 生駒山といえばこれ
記事を少し修正(2014年4月29日)
2016年5月1日追記 どうやら2016年2月ごろに取り壊されたようです。跡地の利用など詳細は不明です。