エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

阪神北大阪線廃線跡レポ(3)中津~天六間

一部写真の追加や修正があります(2015/1/13)
一部追記があります(2015/1/15)
一部写真を差し替え(2015/3/2)
阪神大阪線は1914年に野田~天神橋筋六丁目間が開通した。当時は周りも一面未開の地。
天六大阪市電や新京阪の開業前で実は天六に乗り入れた最初の電車である。
野田から北上して中津へ、中津から阪急と並走して国鉄の貨物線を越える為に専用軌道になったあとは済生会病院前を左折してずっと併用軌道。この道路も実は阪神が敷設に関係したものである。
しかし1975年相方ともいえる阪神国道線モータリゼーションにより廃止。車庫が尼崎にあったため乗客の比較的多かった当線も廃止されることになってしまった。
今回はたまたま2015年の元日に初詣のついでに廃線跡を車で走行する機会があったため助手席からカメラで廃線跡を撮影することができた。そして1月13日にはこの記事の範囲では中津~北野間で第一次徒歩取材も行った。
イメージ 1中津電停跡付近。ちょうど左側の歩道から車の走っている車線辺りが廃線跡であるという。跡地は国道176号線の拡幅用地となっていた。(1/1)
イメージ 7ここが中津電停跡。ちょうど阪急と並走していた。(1/13)
イメージ 8写真のほぼ同位置から廃線跡を振り返って撮影。ここで左手から奥にカーブしていた。(1/13)
イメージ 9現役当時から撮影スポットであった済生会病院前の歩道橋から撮影。写真奥が中津電停跡。ここが旧線との分岐点でもあった。1930年代には豊崎東通電停がこの位置に存在した。付け替え後もしばらく残っていたようである。(1/13)
イメージ 10北野方面を望む。佐川急便のトラックが横切っている道が廃線跡。ちなみに阪急北野線廃線跡も写っている。(1/13)
イメージ 2済生会病院前を直進(道路の配置の関係)して北野電停跡となる北野バス停の手前辺り。右側の建物は阪急電鉄本社である。阪急バスだとちゃやまちバス停近く。(1/1)
イメージ 11阪急バスちゃやまちバス停付近から北野電停跡を望む。奥の大阪空港交通のバスが止まっている辺りが北野電停跡となる北野バス停。開通当初は女学校前という駅名であった。この女学校とは現在豊中市にある梅花学園のことである。(1/13)
イメージ 3もう少し走って新御堂筋をくぐる。南浜電停跡となる南浜バス停も収まっている。余談であるが当初の計画ではここの通りの地下を谷町線が通過することになっていた。もしその通りになっていたら北大阪線の廃止ももう少し早かったかもしれない。(1/1)
イメージ 4本庄中通電停跡となる本庄中通バス停前。なんとなく雰囲気としては路面電車が走っていた道幅がある。しかしここには現在1日2往復しかバスが来ない。ちなみに奥の高層マンションは天神橋筋六丁目駅である。開通当初は本庄という駅名であった。(1/1)
イメージ 5天神橋筋六丁目電停跡の少し西側。この辺りで単線となったようである。開通当初はこの辺りに浮田町電停があったようである。(1/1)
イメージ 6天神橋筋六丁目電停跡である。隣の青看板の通りが谷町線の走る都島通。写真奥のファミリーマートの奥が地下鉄天神橋筋六丁目駅の入口である。(1/1)
イメージ 12おまけ 反対側から見た天神橋筋六丁目電停跡。この日は雨で本来予定していた第三次取材は延期となった。(この写真のみ3/1)

とりあえず徒歩取材したところから写真差し替え、追加していくことにします。かなりお手軽ですがこんなところで。
追記…車での取材は楽だったw