エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

阪神北大阪線廃線跡レポ(2)西大淀~中津間

阪神大阪線は1914年に野田~天神橋筋六丁目間が開通した。当時は周りも一面未開の地。
天六大阪市電や新京阪の開業前で実は天六に乗り入れた最初の電車である。
野田から北上して中津へ、中津から阪急と並走して国鉄の貨物線を越える為に専用軌道になったあとは済生会病院前を左折してずっと併用軌道。この道路も実は阪神が敷設に関係したものである。
しかし1975年相方ともいえる阪神国道線モータリゼーションにより廃止。車庫が尼崎にあったため乗客の比較的多かった当線も廃止されることになってしまった。
今回は2015年1月13日に第一次徒歩取材を行った。なお駅名については1960年代に改称があった西大淀・大淀・東大淀については旧駅名も併記した。
イメージ 1西大淀(浦江北5丁目)電停跡となる大淀中5丁目バス停。この時写真の左側では交通事故の処理が行われていたため中津方面への撮影はできなかった。1930年代には浦江という駅名だった。
イメージ 2西大淀(浦江北5丁目)~大淀(北浦江)間の廃線跡。道幅は1車線だが余裕がある。
イメージ 3大淀(北浦江)電停跡付近。現在は大淀中4丁目バス停となっている。
イメージ 4振り返って撮影。ちなみに1930年代には「大仁西町」電停だった。周りの地名の変更に合わせて「北浦江」「大淀」と変化していった。
イメージ 5大淀(北浦江)~東大淀(大仁本町)間の様子。大淀配水場の目の前のである。
イメージ 6現在の大淀中3丁目バス停の様子。ここから道幅が広がるが東大淀電停跡はもう少し先である。ただし1930年代の大仁電停跡はこの位置である。
イメージ 7東大淀(大仁本町)電停跡。1930年代ではここに大仁街道電停があったが後に大仁(→大仁西町)電停と統合されて大仁本町電停となった。
イメージ 8東大淀(大仁本町)~中津間の様子。代替バスである阪神バスが写っている。また1930年代にはここに下三番電停があった。下三番電停は国鉄梅田貨物線開通に伴う路線付け替え後もしばらく残っていたが1940年代に廃止されたとみられる。
イメージ 9先述の付け替えによる新旧分岐点付近。旧線については近日補完取材を行う予定である。
イメージ 10高架橋を上がって中津電停付近。阪神バスと市バスの中津バス停が見える。
イメージ 11振り返って撮影。当時の面影はない。
イメージ 12別アングルから撮影。奥からやってきた廃線跡は写真左手に方向を変えている。
イメージ 13中津電停跡。奥の阪急のトラス橋の手前辺りにあった。当時は阪神大阪線国道176号もトラス橋であったが北大阪線廃止後に架け替えられた。

中津より先は「阪神大阪線廃線跡レポ(3)中津~天六間」をご覧ください。