エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

京福越前本線廃線跡レポ(勝山~京福大野間)

イメージ 12015年3月26日 福井駅 話に聞いていても実際に見ると結構びっくり
今は嵐電として京都四条大宮から嵐山、帷子ノ辻から北野白梅町までをのんびりと走っている京福電気鉄道もかつては現在の叡山電鉄えちぜん鉄道の部分も持つ大きな鉄道事業者であった。
京都電燈の解散による鉄道路線の受け皿として設立された京福電気鉄道モータリゼーションなどでだんだんと経営が悪化。1986年に叡山線区間叡山電鉄として分社化、福井支社(92年より福井本社)管轄区間もバス転換を考えていた頃2度に渡って正面衝突事故が発生。この結果長期運休を余儀なくされ京福側は廃線届を提出。こうして京福福井エリア全線が当ブログに登場するかもしれない事態となっていったのだが2003年第三セクターえちぜん鉄道」に転換し現在に至る。この時に永平寺線は全廃されているが今回は永平寺線ではなく1969年に廃止された越前本線勝山~京福大野間を紹介する。
1914年4月10日に今回の区間となる勝山~大野口(後に京福大野まで延伸)が開業する。1918年には大野三番(後に京福大野)まで延伸。
その越前本線に引導を渡したのは1960年の国鉄越美北線の開通であった。大野の中心部には京福の方が近かったのだがモータリゼーションと勝山経由で大回りになることもあり1974年8月13日勝山~京福大野間は廃止された。今回は大野市在住で大野市越美北線の活性化、さらには「平成大野屋事業」の番頭も務めておられる「怪人21面相」(https://twitter.com/kouhakuran)氏の案内で車での取材となった。この場を借りて怪人21面相氏にお礼申し上げます。
イメージ 2ということで勝山駅アテンダントがよく動く印象が強い。
イメージ 3大野側を望む。100m程度は留置線となっている。ここから車に同乗させて頂いて取材スタート。
イメージ 4この奥が線路の終端。道路が無い為横からの撮影となった。
イメージ 5廃線跡と合流。廃線跡はほとんど道路に転用されている。
イメージ 6蓬生駅手前辺り。元々線路と道路がすぐ近くにあり併用軌道に近い状態だったらしい。京福はかなり急なカーブも平気で敷設していたようで引き継いだえちぜん鉄道にも時折急カーブが見受けられる。
イメージ 7この辺りが蓬生駅跡だというが痕跡は全くない。背景の山と青空が美しい。
イメージ 8このカーブも廃線跡。線形がお分かりいただけるだろうか。
イメージ 9大袋駅跡。大野方面を望む。
イメージ 10車を降りて駅跡。代替バスのバス停がある。
イメージ 11現在駅があったと伝えるものはこの碑のみ。これが無ければ見過ごすところである。
イメージ 12勝山側を望む。元々道路があったらしく拡幅したため広めとなっている。
イメージ 13全く関係ないが残雪が残っている。もっともこの後案内してもらった旧和泉村辺りは普通に積雪していたが。
イメージ 14大袋駅からさらに南下する。この先にもカーブがある。
イメージ 15この写真の中央辺りに地区の人が保存していた架線柱が残されている。車を降りてみよう。
イメージ 16まぎれもなく京福の架線柱。青空によく映える。
イメージ 17勝山側を望む。かつてここに鉄路はあったのである。
イメージ 18大野側を望む。歩道部分辺りが路盤である。
イメージ 19全く関係ないが大阪ではこんな雄大な山の風景はまず見ることができない。青空でよかった。
イメージ 20ここで九頭竜川と併走。この九頭竜川の上流に九頭竜ダムがあるのである。
イメージ 21あえて現役当時の雰囲気のように道路が写らないよう撮影してみた。ここで直進する路盤と左折する道路に一旦分かれるがこの先は私有地であることと車が入れないことから道路に迂回。
※この先は私有地です。筆者と怪人21面相様は住人夫婦の許可を得て入りましたが許可を得ないで侵入したと見受けられるレポートもあります。許可なく入ると不法侵入です。
イメージ 22下荒井六呂師口駅跡と下荒井隧道勝山側坑口。下荒井六呂師口駅舎を利用した家は数ヶ月前にリフォームしたそうである。さすがに許可を得ていても家をまじまじと撮影するのは気が引けるので写真は無し。現在は下荒井隧道は倉庫として使用しているそうである。許可なく立入厳禁。
イメージ 23大野側坑口。板で封鎖されている。入ろうと思えば入れるのだが倉庫として現在も利用されているので不法侵入となりかねないのでここで終わり。
イメージ 24トンネル内部は浸水しており大野の美しい水がここからも流れている。
ちなみに旧旧線の下荒井隧道は怪人21面相氏によると坑口が完全に圧壊したとのことであり現在は痕跡を探すのも困難とのことである…らしいがどうも現存しているようである。しかしアプローチも困難なのでそこまで行く気も起きなかった。
イメージ 25対岸に残る橋台跡。トンネルから一直線だったのが見て取れる。
イメージ 26一度歩道が消える。隣にある鉄道路線に見えるのは道路。
イメージ 27先程の道路と合流。ここからは広くなっている歩道部分が廃線跡である。北陸名物の100満ボルトも見える。
イメージ 28まもなく新在家駅跡。歩道はまだ広い。
イメージ 29この辺りが旧新在家駅跡。建物の基礎のみ残っている。
イメージ 30まだまだ廃線跡は続く。もう少しで大野口駅跡。
イメージ 31越美北線のガードが見える。この辺りで道路と別れを告げる。
イメージ 32越美北線をくぐる路盤跡。停車中の車から手を伸ばして撮影。
イメージ 33少しだけ南下したところに旧大野口駅跡があった。現在はスーパーになっている。スーパーとなっている廃駅といえば北陸鉄道山中線の山中駅跡もそうである。
イメージ 34京福大野駅跡。現在は福井銀行の三番通出張所となっているがかつての駅ビルを模した形となっている。ここに限らず大野には古い街並みが今でも残っている。この後お昼時ということもあり大野市街で昼食。海鮮丼おいしかった。怪人21面相氏にはここでも改めてお礼申し上げます。
おまけ
イメージ 35その後怪人21面相氏に大野市街を案内してもらい時間があったので九頭竜ダムにも案内してもらった。一番よく見ている一庫ダム(兵庫県)が赤ちゃんに見えるレベルであった。余談だがこの時生まれて初めてスノーシェッドというものを生で見た。