エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

姫路市営モノレール廃線跡レポ(1)手柄山~大将軍間

今回のレポはバイトの為に宿泊中の姫路市からお送りする。新装して驚きの白さとなった姫路城には目もくれず(一応姫路城の目の前までは行った)播但線で姫路に着いたら即座にレンタサイクルを借りて廃線跡探索に繰り出した。
イメージ 1姫路市営モノレール廃線跡は2016年1月現在においてまさに現在進行形で消滅している。
日本で2例しか採用例のなかったロッキード方式のモノレールであり日本最長のロッキード方式モノレールであった姫路市営モノレールは1966年に行われた「姫路大博覧会」のために姫路駅と手柄山を結ぶ路線として開業した。しかし高額な運賃設定や近すぎる距離、膨らむ赤字などで1974年には休止、1979年には正式に廃止となった「幻の路線」ともいえるものである。
イメージ 8
しかしその営業自体は幻のようなものでも軌道などの廃線跡自体は長い間残されてきた…否、放置されてきた。
ところが1984年に手柄山駅北方で800mに渡り老朽化した送電線が落下する事故が発生したため一部の撤去が徐々に行われてきた。
それでもまだかなりの区間が残されてきたのであるが2011年の手柄山駅の公開や大将軍駅の入る高尾アパートの老朽化を契機として2012年から本格的な撤去工事がスタート。2016年現在では急速に姿を消しつつある。
筆者は2013年にも大将軍~姫路間の廃線跡探索を偶然行っており今回はその対比もこめて区間を分割することとした。
2013年も2016年も大将軍→姫路方向に取材しているため掲載順も取材方向に合わせる。
手柄山駅からスタート。イメージ 2
2016年1月11日 手柄山駅は2011年から「手柄山交流ステーション」となっている。ちなみにこの駅舎かなり高いところにある。
イメージ 3当時の駅名標
イメージ 4当時の時刻表。毎時4本運転可能ダイヤで毎時3本運転していた。
イメージ 5姫路モノレールの車両。こちらは公開されていない。
イメージ 6一方姫路駅側の車両は公開されている。
イメージ 7車内はこんな感じ。
イメージ 8当時の姫路大博覧会の模型。この模型にもある手柄山遊園は現存している。
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車内で公開されていたビデオからの1枚。勾配がきついことが分かる。

イメージ 9手柄山駅から姫路方面を望む。モノレールが通っていたところが描かれている。
イメージ 10駅舎屋上から姫路方面を望む。かなりの急勾配だった。
イメージ 11モノレール軌道跡付近を拡大。橋脚があるのがお分かりいただけるだろうか。
イメージ 12その橋脚付近から手柄山を望む。ここから先は1月10日の昼下がりに取材している。
イメージ 13姫路市営モノレールで最も南に現存する橋脚。取り壊しの準備が基礎部で始まっていた。
イメージ 14姫路駅方面を望む。船場川の川べりを走っていた。
イメージ 15もう少し進んだところから逆光ながら手柄山方面を望む。
イメージ 16空を横切るコンクリートの鉄路は果たして何年鉄路の役目を忘れているのだろうか。
イメージ 17姫路駅側を望む。この辺りから民有地と川べりのすき間を走る。
イメージ 18ということで一気に北側に飛んでJR交差地点付近。軌道が撤去されている。
イメージ 19北側を振り返ると軌道が復活している。
イメージ 20川の中に橋脚が突き刺さっている。これも撤去の時は迫っている。
イメージ 21振り返ってみる。面影が残っている。
イメージ 22レールは大将軍駅手前で途切れていた。
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大将軍駅手前には橋脚が残っている。
イメージ 232013年2月11日の撮影。この時点ではまだ今よりレールが残っていた。
イメージ 24同じく2013年の写真から大将軍駅。高尾アパートに併設されているが高尾アパート自体が解体が近いためこの駅も運命を共にする。
イメージ 252016年もこの辺りは全く変わっていなかった。
大将軍~姫路間は2013年の写真もあわせてお送りする。「姫路市営モノレール廃線跡レポ(2)大将軍~姫路間」をご覧ください。