エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

廃駅レポ(8)国鉄篠山線福住駅跡

篠山は車で行くには大阪から国道173号で1時間ちょいで行けて山道もあり、能勢には道の駅もあり、篠山では黒豆パンなど名物もあるというお手軽ドライブコースであるが電車で行くとなると結構面倒なところにある。その大きな理由は篠山口駅の位置にあるともいえよう。
イメージ 1篠山城篠山市役所のある辺りが篠山市の中心部であるがここから篠山口駅まで約5kmほど離れている。
というかそもそも篠山口駅丹南篠山口ICは1999年に合併して篠山市となる前は旧篠山町ですらなく旧丹南町にあった(丹南篠山口ICの名称に名残が残る)
丹南町からすれば駅もインターチェンジも名称を篠山に横取りされた形であるがこれについては篠山出身の方から「丹南町は合併前から篠山藩としての括りの名残からか丹波篠山の一員としての意識が強かったからでは」という見解を頂いている。
…話が脱線した。しかし篠山に鉄路があった時代もあるのである。
1915年に開通した篠山鉄道と1944年に篠山鉄道を代替した国鉄篠山線(篠山口~福住間)がそうである。ただし篠山鉄道の終着となる篠山町駅は篠山町の市街地に設けられたものの篠山線の篠山駅はまたしても篠山川北岸の篠山町ではなく篠山川南岸の丹南町、この地図では「尾根橋北詰」交差点の東側辺りに置かれることとなった。
これは開業時期が戦時中であるなどから篠山の市街地に寄るということより園部への延伸を第一に考えた結果と思われる。ただし篠山町の面目躍如か隣の八上駅は篠山町に置かれることとなった。
なお園部までの開通であるが工事中に終戦を迎えたため福住~園部間は未成線となった。福住~園部間は国鉄バス、現在では京阪京都交通が運行している。これにより篠山線は福住までのローカル線となったのである。
しかしローカル線となった篠山線にとって篠山駅の立地はあまりにも致命傷だった。そして1968年には赤字83線に指定。この赤字83線で当時実際に廃止された路線は少ないが篠山線は数少ない廃止例にあたり1972年2月末をもって全廃となった。
今回はその終着駅となる福住駅を紹介する。なお元々篠山はこの時純粋にドライブの為訪れたものであり福住に寄ったのもたまたまであるため福住駅以外の篠山線や篠山鉄道の廃線跡は一切取材していないのでご容赦頂きたい。
イメージ 22016年9月17日 篠山市の東、大阪から173号線で来ると天王峠を越えて下ってきたところにある福住は「篠山市福住伝統的建造物群保存地区」として重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
イメージ 3福住駅跡。駅舎はどうやらそのまま農協の施設に転用されているようでホームもそのまま残っているようだ。
イメージ 4駅跡全景
イメージ 5反対側には駅名標を模したモニュメントもあった。
イメージ 6篠山口側を望む。神姫グリーンバス福住車庫になっている。神姫グリーンバスは篠山線の代替バスを運行している。2002年までは西日本JRバスが運行していた。
イメージ 7現役当時の「駅前通り」から南側を望む。左側に見えるのは福住バス停。
イメージ 8福住バス停は園部から来た京阪京都交通と篠山から来た神姫グリーンバスの境界となっている。乗り換えも考慮されているが本数は少ない。
イメージ 9バス停に置いてあったベンチ。イベントで小学生親子が作ったものらしいが見た目もしっかりしている。座ってみても安定している。これは力作だろう。
イメージ 10この通りが福住のメインストリートとなる街道筋。往時の雰囲気が忍ばれる。鉄道があった頃はどうだったのだろう?
しばし福住の街を歩いて筆者たちは国道372号を走り鉄路が目指した園部(というか372号で亀岡)方面に向かった。