エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

廃駅レポ(9)京阪豊野駅跡

バレンタインデーなので当ブログからはチョコではなく廃線跡レポをプレゼントすることとする。それに筆者は男だし
京阪電車の2016年ダイヤ改正で昼間の準急は原則香里園で特急を待避することとなった。色々と不評なダイヤであるが今回の主題はその待避駅の話である。
この香里園駅の待避線は開業時からあったものではない。ではどこにあったかというとそれが今回紹介する豊野駅である。
イメージ 1豊野駅は現在の寝屋川市駅の北方にあった。ちなみにこの寝屋川市駅も移動してきて今の位置になっている。
豊野駅京阪電車の開通から遅れること12年、1922年運動場前駅という駅名で開業した。当時は臨時駅である。この運動場とは京阪が設置した京阪グラウンドのことである。陸上競技場や野球場が整備された。関西五大私鉄の中で京阪のみが唯一プロ野球球団を保有していなかったのは有名な話だがここで春の選抜高校野球が行われたかもしれないという歴史もある。
駅の方は11月に常設駅に昇格。待避線も設置されることになる。
しかし迫りくる戦災はこの駅にも影響を与えた。1943年利用率の低下から京阪グラウンドは閉鎖。駅名もこれに伴い地名から豊野駅に改称となる。
戦災の影響は終戦後も続く。1945年9月には輸送の復旧のために休止される。ただし1947年には復活する。
イメージ 2
1961年当時の豊野駅の航空写真。寝屋川市駅の建設も始まっている。これらの航空写真の出典は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスである。
しかし1963年寝屋川市駅が現在の位置に移設される(元々は現在駅より南側にあった近日紹介予定?)ことになるため近いところにあった豊野駅は統合対象となる。これに伴い豊野駅は1963年5月15日廃止。待避線は現在の香里園駅に移されることになった。
イメージ 31975年の航空写真で見ると豊野駅跡はこの撮影の前年に高架化されている。ただし寝屋川市駅が高架化されるのはここから20年近く後になる。
イメージ 4ということで現地取材開始。これらは2017年2月2日の撮影となる。西側から駅跡を望む。なお駅跡の真下にある道路は駅廃止後に整備されたもの。
イメージ 5当時の駅前辺りから京都方を撮影。写真左側の変電所は駅の現役当時からあったもので現在も現役。
イメージ 6京阪電車の東側から駅跡を見る。跡地は現在駐車場になっている。
イメージ 7このカーブの奥が寝屋川市駅となる。
イメージ 8京都方を望む。この先で路線は地上に降りる。ちなみに京阪グラウンドの跡地となる住宅地はこの北側辺りにあるという。