エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

国鉄高砂線廃線跡レポ(5) 高砂北口~高砂港間

今回の区間高砂北口~高砂港間。これで完結となる。
イメージ 1国鉄高砂線は加古川駅から高砂港駅までの8kmを結んでいた。この高砂線は加古川線を敷設した播州鉄道が加古川線同様に加古川の舟運を代替する為加古川から物資の集散地である高砂までの路線を1913年に開通させたものである。この時は加古川橋梁の東端辺りに高砂口駅を置きそこを終点とした。
翌年には高砂港(当時は高砂浦)まで全通。高砂口駅はこの時廃駅となった。
1923年には播丹鉄道に譲渡され、1943年には加古川線同様に戦時買収により国有化された。その後には高砂駅近くに国鉄高砂工場が完成。客車、貨車の車両整備から改造を行う工場として出入庫する列車もあった。
この間もずっと高砂線は加古川線や鍛冶屋線といった支線同様に貨物中心で営業されていた。
しかし鉄道貨物輸送の衰退が高砂線を直撃する。元々旅客輸送にあまり力を入れていなかったこともあり、1981年に第一次特定地方交通線として認定。高砂工場も貨車、客車の需要減少で須磨区の鷹取工場に統合されることとなった。
なおこの路線に関しては沿線人口が第一次特定地方交通線としては多かったため第三セクターへの転換も検討された。しかし加古川橋梁の老朽化が激しかったこともあり、転換計画は頓挫。1984年2月1日に先行して貨物営業と高砂高砂港間が廃止。残った区間1984年12月1日をもって廃止された。
では現役当時(1980年)の航空写真をご覧いただこう。出典は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスである。
イメージ 1今回取り上げる区間高砂から先も少し写っている。
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高砂港駅跡付近の航空写真はご覧の通り。かなり広い駅構内だったことが分かる。
では現在の高砂市を空から見ると…
イメージ 2こうなる。意外にも高砂線の廃線跡が空からでも分かる。
え?この写真どうしたんだって?飛行機から撮りましたw2018年8月29日新千歳空港神戸空港間の飛行機機内から撮影。
イメージ 3高砂北口駅から高砂方面を望む。まさに今立っている辺りがホームだったようだ。
イメージ 4駅跡を過ぎると遊歩道となる。
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少し進むと転轍機が残されていた。
イメージ 5このような説明板もあった。ここが高砂工場への分岐点だったらしい。
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高砂駅手前になると遊歩道が尽きて道路に転用される。
イメージ 6高砂駅跡はなんとロータリーになっていた。高砂港方面を望む。
イメージ 7加古川方面を望む。車道と同じくらい歩道が広いほど広い道幅が駅構内だったことを感じさせる。
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駅のモニュメントも他の駅と比べると小さいながら存在した。
イメージ 8駅前商店街だったであろう銀座商店街のアーケードがあった。駅の正面がまさにここになる。銀座商店街は駅前通りからシャッター通りに姿を変えた。
イメージ 11ロータリーの先からは再び遊歩道が続く。
イメージ 12途中で道路と交差するが往時の面影は全く見受けられない。
イメージ 13遊歩道はちょうど上記の航空写真の入れ替わる辺りで道路と合流する。
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道路と合流。左側の草地が廃線跡。この辺りからすでに高砂港駅構内だった。目の前の岸壁辺りが道路の終点になる。
イメージ 16ちょうど左側の円柱のような建物の立地する辺りが高砂港駅跡。今は工場に転用されているが海のすぐ近くでまさに臨港貨物線のような存在だった。
イメージ 18加古川方面を望む。当時の遺構は無いが広い道幅が高砂駅同様駅であったことを主張しているようだった。
今回で高砂廃線跡レポは完結となります。
他の区間はここからどうぞ。