エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

【国鉄小松島線廃線跡レポ】2.小松島港~小松島駅跡

紀伊水道の向こう和歌山の大浦街道に似たような町並を走ってバスは小松島港へ。
とりあえずバスの降り場はこんな感じ。
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こんな所にいきなり降ろされても・・・ちなみにバスは終点まで行かず管理人を降ろしたら営業所に戻った。
結論的にはこの画像の奥の辺りが小松島港仮乗降場跡である。
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誰もいない「しおかぜ公園」だがここが機関区の跡だったらしい。気味が悪く入らなかったが。
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この先に小松島駅の側線があった。しかし向こうでは船が作業をしていたので近寄らなかった。
なおこの辺り人の気配が本当に無い。南港や名古屋の稲永ふ頭にも似た独特の港湾的雰囲気である。

詳しい地図で見る
この位置が小松島港仮乗降場跡。
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しばらく側線跡を歩いた。まるで福江港である。正面の堤防を越えた時五島にいるような気がした。
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堤防を越えた辺りを進むと「小松島ステーションパーク」の東口になる。ここももちろん廃線跡だ。
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振り返ると車輪があった。ちなみにこのすぐ横は小松島海上保安部である。今日も阿波の海を守っている。
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いい感じに遊歩道になっている。ここまでは色々急ぎ足だったがここからはのんびり取材である。
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こんな石碑があった。小松島は民間航空発祥地であるらしい。これは1994年の建立であり廃線後である。
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まだまだ路盤は続く。実際は直線だったのだろう。複線分の路盤があるように見えるが・・・
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小松島駅の跡である小松島ステーションパークに到着した。本来見るべきものはもっと西側にあるが。
この時この広場でラジコンで遊んでいる子供達がいた。彼らはこの路線の存在を知っているのだろうか・・・
というか話はそれるが名古屋に行っても関西の言葉の影響が見られたが徳島は完全に四国の言語圏だった。
「けん」とかを使っていてここまで九州・中国の言語圏が広がっているのかと驚いた。
紀伊水道を挟むだけでこう変わるのである。淡路島は関西の言語圏であるがこれも鳴門海峡で完全に変わる。
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これである。この駅舎は当時のものではないらしい。というかホームの位置が直角に違う。
小松島駅のホームは線形的に東西方向に伸びているはずだがこれは南北方向である。
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ホームから東方を望む。画像のサイズ的にここで分割する。
↑東方で別の物が思い浮かんだwRomantic Childrenを聞きながら今執筆しているのだがw
次回更新をお楽しみに!