【愛宕山鉄道鋼索線廃線跡レポ】1.愛宕山鉄道の歴史
警告
標高差は約600mあり途中崖登りのような辺りもあります。
愛宕山自体も信仰の山であり公園ではありません。
さらに愛宕山は正規の登山道もかなり健脚向きです。
廃線跡を歩く事をおすすめはしません。
それでも廃線跡を歩くという方はかなりの覚悟が必要です。
廃線跡を歩くだけでも往復3時間半の山登りは見ておきましょう。
なお携帯の電波もあまり良くありません。
京都に来たからついでに・・・なんて考えで登らないように。
いきなり脅しで始まったが・・・脅しではない。
マジである。
今回は廃線跡探索が目的で登山が目的ではなかったので撮影しなかったが警告の看板は登山口各所にある。
「自分で登り、自分で下山する他、手段はなし」
警告の看板の一文である。
では愛宕山は昔から「自分で登り、自分で下山する他」手段が無かったのかといえばNOである。
「自分で登り、自分で下山する他、ケーブルという手段があり」だったのである。
歴史は1926年にさかのぼる。(一応鋼索線メイン)
1926年7月25日。愛宕山に一本の鉄道が開業した。
ちなみに愛宕山鉄道と関わりの深い会社といえば・・・
2.京阪電気鉄道。この頃の京阪は正直「野望だらけ」だった。
名阪直通構想をなんと京阪も掲げていたのである。
この頃はまだ伊勢電が健在だった。関西急行電鉄は1940年参宮急行電鉄(参急)に吸収される。
話が名古屋に行ってしまった。近鉄で名古屋に行ってしまったので新幹線で京都に戻る。
現在の近鉄京都線である奈良電気鉄道も京阪と大軌の資本が入っていた。
もちろん現在の嵐電も京阪の子会社(ついでに京都バスも)である。
この愛宕山鉄道においてももちろん京阪資本が入っていた。
これ以上は管理人もややこしくなるので止めておこう。
3.阪急電鉄・・・なのだが阪急が本格的に京都に進出するのは(間接的には戦前から)戦後の話となる。
両社とも自社の路線の復興で愛宕山鉄道まで手が回らなかったのである。
そこでケーブルの終点愛宕駅付近に遊園地やホテルにスキー場を作り旅客誘致に努めた。
やはり山の上に遊園地とはどこかの奈良線そっくりである。
しかし戦争の影は愛宕山にも迫るのであった。
愛宕山鉄道は観光路線であったため不要不急路線に指定されるのである。
同年12月には愛宕山鉄道平坦線も廃止されている。
わずか18年であるが時代が早すぎた。
もし戦後の開業なら・・・歴史に「もし」は存在しないのであるが・・・
そして廃止から68年の歳月が経った2012年の春管理人は京都に赴いた。
次回をお楽しみに。しかし脱線が結構多かった気がする。