エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

新日鉄広畑専用線廃線跡レポ

広畑といえば新日鉄の街。現在の社名的には新日鉄住金であり、2019年からは日本製鉄になるがここではやはり広畑といえば新日鉄ということで新日鉄広畑専用線としてレポートする。
イメージ 1新日鉄広畑専用線はこれまた廃線となった国鉄飾磨港線の飾磨駅南方から分岐し姫路市広畑区(こう書くと大都会姫路みたいだよね)の新日鉄広畑製鉄所に至る専用線だ。
戦前の日本製鉄が広畑に製鉄所を置いたのは1939年のこと。原料の輸送や完成品運搬、さらに戦争が近かったこともあり1941年にはこの専用線が建設される。
ここで航空写真をご覧いただこう。いつもの通りこれらの航空写真は全て国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを出典としている。
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1961年当時の航空写真。これは飾磨駅付近。西にまっすぐ伸びるのが専用線
イメージ 21975年の夢前川付近。今はメガドンキホーテとなっている辺りは全て新日鉄の社宅だった。
その後も広畑製鉄所の経営が富士製鉄、さらに新日本製鉄となってもこの専用線は活躍していたが1986年11月1日飾磨港線の廃止とともに役割を終えた。
なお、新日鉄広畑製鉄所内にも路線は続いていたがさすがに現役の工場なので当然中には入れない。取材は夢前川の橋梁までとしている。取材日は2018年5月27日。
イメージ 4ここが飾磨駅跡。区画整理されまくっており完全に面影はない。姫路方面を望む。
イメージ 5飾磨駅から少し南に行った分岐点から飾磨港・広畑製鉄所方面を望む。この辺りで分岐していたようだ。飾磨港線は直進、専用線は東に向かう。専用線は空地を進む。ちなみに左にこの道路こそ飾磨港線の廃線跡
イメージ 6橋が残っていた。住宅開発がされている中でよく残っていた。
廃線跡は空地となって続く。
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船場川に向かって土手が続く。
イメージ 7船場川の橋梁跡はヤフー、グーグルの地図だと橋があることになっているが既に橋は跡形も無い。近年撤去されたのだろうか。
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飾磨方面を振り返る。
イメージ 8北側にある橋を渡って船場川の対岸まで来た。廃線跡は土手を下る。
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しばらくすると廃線跡アスファルトに変わり工場の敷地内に入る。ここから先は水路が続くのでその対岸から撮影する。
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廃線跡は水路の際を走っていたようだが痕跡は全く見えない。
イメージ 9途中から工場は新日鉄住金の工場に変わる。おそらく緑の生い茂る奥側が廃線跡と思われる。
イメージ 10ようやく奥にそれらしい路盤の跡が見えてきた。
イメージ 14今回最大の見どころとなるのが夢前川を渡る橋梁。現在は配管などが通るようになったが現役で使用されている。
イメージ 15飾磨方面を振り返る。土手の跡が残っている。
イメージ 17夢前川の対岸には広畑製鉄所が見える。取材はここまでとした。製鉄所の先にも路線は少し続いていたようだが全く痕跡の無いエリアらしいので省略。