エルガが行く

失われた鉄路を行く人のブログ。関西中心に廃線跡と貨物船の世界をご紹介します。

国鉄高砂線廃線跡レポ(1) 加古川~野口間

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なぜか大宮の鉄道博物館にこんなものが(2015年撮影)
現在高砂市中心部への主たる交通手段は山陽電車である。JR山陽本線高砂市内を走ってはいるが宝殿や曽根は高砂の中心部からは遠いところにある。しかしかつてその高砂市街地に国鉄の路線があったのだ。
イメージ 1それがこの国鉄高砂線。加古川駅から高砂港駅までの8kmを結んでいた路線だ。この高砂線は加古川線を敷設した播州鉄道が加古川線同様に加古川の舟運を代替する為加古川から物資の集散地である高砂までの路線を1913年に開通させたものである。この時は加古川橋梁の東端辺りに高砂口駅を置きそこを終点とした。
翌年には高砂港(当時は高砂浦)まで全通。高砂口駅はこの時廃駅となった。
1923年には播丹鉄道に譲渡され、1943年には加古川線同様に戦時買収により国有化された。その後には高砂駅近くに国鉄高砂工場が完成。客車、貨車の車両整備から改造を行う工場として出入庫する列車もあった。
この間もずっと高砂線は加古川線や鍛冶屋線といった支線同様に貨物中心で営業されていた。
しかし鉄道貨物輸送の衰退が高砂線を直撃する。元々旅客輸送にあまり力を入れていなかったこともあり、1981年に第一次特定地方交通線として認定。高砂工場も貨車、客車の需要減少で須磨区の鷹取工場に統合されることとなった。
なおこの路線に関しては沿線人口が第一次特定地方交通線としては多かったため第三セクターへの転換も検討された。しかし加古川橋梁の老朽化が激しかったこともあり、転換計画は頓挫。1984年2月1日に先行して貨物営業と高砂高砂港間が廃止。残った区間1984年12月1日をもって廃止された。
では現役当時の航空写真をご覧いただこう。出典は国土地理院の地図・航空写真閲覧サービスである。
イメージ 2赤いラインが高砂線。1980年の撮影なので廃止4年前となる。
その現在の様子をご覧いただこう。取材日は加古川市内が2018年2月25日、高砂市内は翌日の2月26日。
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ここは加古川線と分岐した少し先の地点。加古川駅周辺が高架化した為加古川駅からここまでの痕跡は全くない。加古川方面を望む。
イメージ 3振り返ってもしばらくは宅地に転用されている。
イメージ 4途中から道路に転用される。このすぐ先が山陽本線
イメージ 5その先から高砂方面を望む。山陽本線を越えた先から鶴林新道として道路転用が始まる。
イメージ 6高架を越えるとこの通り。ここから先の加古川市区間は基本的に道路に転用されている。
イメージ 7このカーブが鉄道があったことを教えてくれる。
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国道2号線を横断する。加古川方面を望む。遺構は全く無い。
イメージ 8まだ広い道が続く。奥には加古川市役所が見える。
イメージ 9ホーム跡が残る。ここが野口駅跡。ここから別府鉄道野口線も分岐していたがそれと分かる物は何もない。
イメージ 10駅名標が残されているが現役当時のものではない。
イメージ 11もうひとつのモニュメント。こちらは廃止直後の物だろうか。あくまで高砂線の廃駅となっているようだ。
イメージ 13錆び切った台車が残されていた。
イメージ 14加古川方面を望む。
イメージ 17高砂方面を望む。道幅が広がっていることからここに駅があったと分かる。別府鉄道との分岐点はもう少し先になる。